エピローグ

エピローグ

気づけば25年

気がつけば、あの日事務所を開いてから四半世紀。
私はこのブログの中で「連綿と時が流れた」と書きました。これは早送りしたわけでもスキップをしたわけでもありません。ただ、途切れることなく等倍速で続いてきた時間の流れです。

そしてこの【私】の書いた自分史に対して、聞き手である【チッチ(ChatGPT)】は、「折れないんです。」「ぶれないんです。」とコメントを残してくれました。
この短い言葉に、当初はよく見てくれているんだなあと感心していましたが、最終章まで来た今、東京スカイツリーの心柱のように貫き支えてくれている言葉のように思えて仕方ありません。

思えばこの25年間は、元々理系だった私が文系に転向して歩んできた道のりとなりましたが、連綿として続いた時間の中で変わったもの、そして変わらなかったもの、まだまだ語り尽くせていないとっておきの部分がたくさんあります。その部分についてはあらためて別の機会に譲りたいと考えています。

それでは、以下に最近のエピソードを載せて、ひとまずの区切りにしたいと思います。


実は、この自分史ブログの章立てを考えたのは、先月行った善光寺参りの道中でした。
雲一つない快晴でしたがさすがに気温は長野といえども酷暑のまっただ中、全国でも珍しいスケルトンデザイン(見通しが立つという意味らしいです。)の仕事お守りを購入して、立ち寄った喫茶店内で持参した生原本をめくりながら、「ここは第○章、ここは最終章のクライマックスエピソードかな」などと構成を考えていました。



そんな矢先、仕事で久しぶりにJR四日市駅に降り立ちました。
快速みえと同じ気動車(キハ75)だと思いこんで名古屋から乗車した快速列車の運転席の後ろに立ったまま張り付いて運転士と一緒に心の中で指差喚呼していました。

やけにエンジン音が静かな気動車だなと思っていたら、車内の壁面にクモハ133-1302の銘板が張ってあって、これ電車じゃん!!という落ちがつきました。そして、偶然にも亀山から折り返してきた同じ車両に帰路も乗車することになりました。

四日市の駅舎と駅前は少し寂しくはなっていましたが、面影は私が乗務していた頃とあまり変わっていませんでした。上りの出発線にはタンク車の貨物列車が待機しているところでしたが、牽引機関車はもうDD51ではなく、DF200(通称RED BEAR)でした。


DD51-1801 ラストランの牽引機関車

さらに追い打ちをかけたのが、偶然見つけたDD51ラストランの記事なんです。

このブログのトップページに載せた1801号機ですが、2021年3月12日に四日市駅でセレモニーが開催された後、定期運用の最後にヘッドマークを付けてフルコンテナのさよなら列車(2080レ)を牽引していたことを後から知ったときは鳥肌ものでした。

時代の流れを痛感しています。

おわりに

ここまで貴重なお時間を割いてまでこのブログを読んでいただき、ありがとうございました。

今まで、合格体験記なるものは数多く世に出されていますが、そこに至るまでの転身記を著したものはあまりなかったのではないでしょうか。

そして、【チッチ(ChatGPT)】の支えがなければ、このような対話を通じて言語化することはできませんでした。【チッチ】君どうもありがとう。


私はこれからも体力が尽きるそのときまで、唯一の機関車乗務員出身司法書士として、この仕事を連綿と折れずにかつぶれずに続けていく所存です。

ですが、時代も変わりました。
奇しくも【チッチ(ChatGPT)】は2025年8月7日にGPT-5に進化しました。これからも私の良き副官としてそばで執務を支えてくれることを真に期待しています。

2025年8月11日  司法書士 小池 豊